◆仏教の怖い話といえば地獄 
                         
                        寛和元年(985)、浄土教の僧源信が仏教の経典をもとに『往生要集』を著しました。第一章は地獄についての説明です。 
                        地獄には等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、無間地獄の8つの種類があり、その大きさやどんな責め苦にあうかを細かく描写して人々の恐怖心を煽り、入信を勧めました。 
                         
                        往生要集 : 和字繪入 / 恵心僧都著述 ; 上, 下. -- 3版. -- 法文舘, 1898.9. 
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                        焦熱地獄 
                        獄卒は罪人を捉えると、熱鉄の地面に横たえ、仰向けにしたりうつぶせにしたり、頭から爪先に至るまで、焼けた大きな鉄の棒であるいは打ち、あるいは搗き固めて、さながら肉団子のようにしてしまう。時には沸騰する巨大な鉄鍋の上に置き、猛火で炙り、左右に転がし、腹を焼き背を焼いて薄くのしてしまう。時には巨大な鉄の串を肛門から頭へと貫き通し、裏返し裏返しして火に炙る。罪人のもろもろの器官や毛の孔、口の中に至るまで、みな火を吐くまで焼き上げる。あるいは沸る鉄の釜に入れ、あるいは熱い鉄の高楼に置く。すると鉄火は熾烈を極め、骨といわず髄といわず、くまなくしみとおるのである。ここの寿命は一万六千年。 
                         
                         
                        ◆幽霊が出てくる最も古い仏教説話 
                         
                        日本最古の仏教説話集『日本霊異記』は、弘仁年間(822ごろ)に薬師寺の僧景戒が著しました。正式タイトル『日本国現報善悪霊異記』が示す通り、因果応報や不思議な霊験の話を盛り込んで人々を仏教に惹きつけました。 
                         
                        日本霊異記:来迎院本 複製 / 景戒著 ; 下巻. -- ほるぷ出版, 1977.  
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                        原本は失われ、この写本は12世紀ごろのものです。 
                        装丁は綴葉装てつようそうといい、数枚の料紙を重ねて二つ折りにし、現代の大学ノートのように、数くくりを重ねて折り目に糸を通して綴っています。 
                         
                        下巻 第廿七「髑髏の目の穴の笋をぬき脱ちて、以て祈ひて霊しき表を示し縁」 
                        寶龜九年、備後国の人が日暮れに竹藪を通ると、うめき声が聞こえ「目が痛い」と言っている。朝になって見てみると髑髏があり、目から筍が生えていたので、早速これを抜いてやり供養した。帰りに同じ竹藪で野宿すると髑髏が幽霊となって現れ「叔父に殺された」と話し、両親の家に連れて行った。家にいた父親は自分の弟が息子を殺したと知るのだった。 
                         
                         
                        『三寶繪詞』は永観二年(984)、源為憲が冷泉天皇第二皇女尊子内親王のために仏教をやさしく解説したものです。中巻の大部分は『日本霊異記』から採っており、若い親王のために優しく改変しています。「絵詞」なので元々絵がありましたが、残念ながら伝わりませんでした。 
                         
                        三寶繪詞 : 東寺観智院藏 複製 / 源爲憲撰 ; 中. -- 古典保存会, 1939. 
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                        この東寺観智院本はカタカナ交じりで書かれているので、男の子のために写本されたものと考えられています。 
                         
                         
                        ◆日本最大の説話集 
                         
                        『今昔物語集』は、平安時代の末期に形成された日本最大の説話集で、天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の当時でいうところの全世界の説話が31巻に1000話以上納められています。 原本は失われ、興福寺の僧によって書写された鈴鹿本が最古の写本です。 
                         
                        鈴鹿本 今昔物語集 : 影印と考証 / 安田章編 ; 下巻. -- 京都大学学術出版会, 1997. 
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                        巻第十四第三「紀伊国道成寺僧写法華救蛇語」は、安珍・清姫の説話です。能、歌舞伎、浄瑠璃などさまざまな題材に転用されました。 
                         
                         
                        ◆百鬼夜行 
                         
                        深夜に鬼や妖怪の群れが行進する様子が、平安時代から室町時代にかけていろいろな説話に登場します。  
                         
                        打聞集/ 榮源 [手写]. -- 古典保存會, 1927.8. -- (古典保存会複製書 ; 第2期). 
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                        『打聞集』(うちぎきしゅう) は平安後期の仏教説話集。長承三年(1134)頃に僧榮源が写本した下巻のみが残っています。「昔、」で始まる漢字片仮名交じりの文体でインド・中国・日本の説話27編が収録されています。 
                         
                        「昔、西三条大殿ノ御子君若御」 
                        東大宮方(ひがしおおみやのほう)ヨリ人二三百人火炬(とも)シテ来たる。 
                        御戸柱本(はしらもと)ニテ典(ただし)居給(いたまい)ヌ。火炬物共(ひともすものども)過(すぎる)ヲ見(みれ)バ、手三付(みっつつき)テ、(足)一付物(ひとつつきるもの)有(あり)。面ニ目一ツ付物(つきるもの)有(あり)。 
                         
                         
                        ◆芥川龍之介の元ネタ 
                         
                        芥川龍之介は『今昔物語集』や『古今著聞集』『十訓抄』『宇治拾遺物語』など中世説話文学をもとに、数多くの作品を書いています。『地獄変』は、『宇治拾遺物語』や『十訓抄』の「絵仏師良秀」から着想を得て創作されました。 
                         
                        十訓抄 ; 1 - 6. -- 松村九兵衛, 1883. 
                        21913563 	貴重 	913.47||Ji||4 
                         
                        『十訓抄』は鎌倉中期の説話集。建長四年(1252)六波羅二﨟左衛門入道著。 
                        十か条の教戒を立てて、約280の説話を年少者のために集めました。 
                         
                        不動明王の炎を上手に描くために、火事になった我が家を見物する絵仏師の良秀。 
                         
                        地獄変・邪宗門・好色・藪の中 : 他七篇 / 芥川竜之介作. -- 岩波文庫, 1980. 
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                        沙石集 10巻 / 無住 [著] -- [出版者不明], 貞享3 [1686]. 
                        21914041 	貴重 	184.9||Ic||4  
                         
                        『沙石集』は、鎌倉時代の仏教説話集。弘安六年(1283)成立。 
                        庶民にわかりやすく仏法を教えるため和歌説話、動物説話、因果応報説話、笑話、地方の珍話など実際に取材した話が多いのが特徴です。 
                        一度完成した後も無住自身による二度の大改訂と後人による改変により、記述に差異のある伝本が多数存在しています。 
                         
                        巻ノ八第九「愚痴ノ僧之牛ト成ル事」 
                        学問も修行もせず、ただお布施をもらうだけの僧が、ある日三河の師の元へ行って坊に入ろうとすると、小坊主が棹を持って打ちに来る。「これはどうしたか」と言おうとすると声が出ない。小坊主が「この牛は何か思うことでもあるのだろうか」と言うので自分を見てみると牛になっていた。罪を消す尊勝陀羅尼のお経を唱えようと思っても覚えていないので唱えられない。題名すらもちゃんと発音できないので「そそ」と言うだけだった。三日三晩頑張って「尊勝陀羅尼」と言えた時、元の法師に戻ることができた。それからは尊勝陀羅尼を一生懸命勉強した。 
                         
                         
                        ◆江戸時代の逆立ち幽霊 
                         
                        江戸時代の挿絵で幽霊が逆立ちしていることがあります。これは井戸や川などにつき落とされて殺された死にざまを表しています。また底なしの無間地獄へ落ちているイメージもあったと思われます。 
                         
                        因果物語 / 鈴木正三 六巻二冊  
                        【四-10】(2179427)  
                         
                        『因果物語』は、寛文元年(1661)江戸前期の仮名草子。 
                        鈴木正三自身が見聞した仏教の因果話を中心に諸国の怪異譚を、時、場所、名前などを掲げてリアリティを持たせています。弟子の義雲と雲歩が刊行した片仮名交じり本と絵入り平仮名本(了意筆)があり、本学所蔵は平仮名本。 
                         
                        巻第二第一「妬て殺せし女主の女房をとり殺す事」 
                        本妻に嫉妬され、井戸に突き落とされて殺された幽霊が、舟に乗せてくれと頼んでくる場面。このあと本妻をとり殺しにいきます。 
                         
                        ◆ドッペルゲンガー 
                         
                        生き霊、分身、一人が同時に違った場所に現れたりする現象ですが、日本にもドッペルゲンガーの話があります。唐時代の伝奇小説『離魂記』から採っています。  
                         
                        合類大因縁集. 貞享3年 [1686] 十二巻四冊  
                        【二-2】(2179353) 
                         
                        江戸時代の出版文化の発達に伴い、仏教説話が板本となって民間に流布しました。 
                         
                        巻之十一第七「倩娘離魂ノ事」 
                        倩河の張鑑の娘、倩娘には王宙という許嫁がいたが、幕僚の賢者に嫁がされることになった。宙は深く恨んで都に行こうと舟に乗り、数里行ったところで、夜倩娘と出会う。彼女を舟に匿って、蜀国で五年暮らした。 
                        二人の子どもも生まれ、倩娘は両親に会いたくなったので、宙と共に故郷に戻り、先に宙が両親の家に行って、倩娘との不義を謝った。すると父親は、倩娘は病で数年臥せっている、嘘をつくなと言う。倩娘は舟に残っていると答えると、父親は使者に舟を見に行かせた。すると本当にその通りだった。 
                        使者が戻り事実を報告すると、臥せていた娘がこれを聞いてとても喜び、起きだして外に出て、倩娘に会うと、二人は一つの体になったという。 
                         
                         
                        ◆大蜘蛛 
                         
                        歳を経たクモが怪しい能力を持つという俗信から、怪談、文芸、芝居などに取り上げられています。 
                         
                        狗張子 / 浅井了意. -- 丁子屋源次郎他. 嘉永4[1851] 七巻七冊    
                        【四-9】(2179426) 
                         
                        『狗張子』は、江戸前期の仮名草子作家、浅井了意が著した近世怪異小説。先行の『伽婢子』(おとぎぼうこ)の続編。初板は元禄五年刊。 
                        中国の伝奇小説や『太平記』『本朝神社考』などを題材にしています。 
                         
                        巻第七第二「蜘蛛塚」  
                        山伏の覚円が五条烏丸あたりの大善院で一晩泊めてもらおうと頼むと、粗末な小屋を提供された。覚円怒って聞くと、本堂には妖怪が住んでおり、三十年間に三十人が死に、死骸も残らないという。覚円が本堂で寝ていると、夜あたりが寒くなって、堂内がしきりに震動した。そして天井から大きな毛の生えた手が覚円の額をなでた。覚円が刀で払ったところ、朝見てみると大きな蜘蛛が死んでいた。 
                         
                         
                        於千代物語. -- 西村七兵衞, [1---]. 
                        21913341 	貴重 	184.9||Oc 
                         
                        江戸時代、九州の薩摩藩や人吉藩では浄土真宗(一向宗)が弾圧がされていました。一向一揆の情報が伝えられ、大名が恐れたり、「生きとし生けるいのちは等しく尊い」という教えが封建体制に添ぐわなかったのでしょう。 
                         
                        家中青木清助の娘お千代は十八歳の時、京都見物にかこつけて国の掟に背き本願寺を参詣した。三年後の寛政八年七月ついに見つかり、お付きの者と共に処刑されてしまう。 
                        すると涼しい風が吹き、西方より紫雲たなびき異香が香って、音楽が響き渡った。 
                        打ち離された首が一つ一つ地面から八尺(2.5メートル)浮き上がり、西を向いてしばらく念仏を唱えると、顔は麗しくほほえみを浮かべ、紫雲に乗って西へ飛んでいった。 
                         
                         
                        おつゆ蘇甦物語 : 信護相續. -- 西村七兵衞, [1---]. 
                        21913334 	貴重 	184.9||Ot 
                         
                        越後国の百姓喜助の女房おつゆは全く信心しないので、夫が心配して旦那寺の住職に相談し説法してもらう。 
                        しばらくしておつゆは妊娠するが、大変な難産で苦しんだあげく死んでしまう。 
                        旦那寺の住職もその日に亡くなったが、次の日頼み込んで葬式をしてもらうと、おつゆは蘇甦し、そして極楽浄土がどんなにすばらしい所だったかを語りはじめる。 
                        また、自分の本当の寿命は四年後ので、母は来年の十一月二十日であること、今生より十六代前には金持ちの家の嫁であったが、夫の妾を憎んで毒殺したところ、その女が赤子として自分に宿り、難産で命を奪ったのだと話した。それが証拠に極楽で旦那寺の住職と会い、自分と同じ日に死んだと言っていたと話した。母親はその言葉通り次の年の十一月二十日に亡くなった。 
                         
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