神戸女子大学・神戸女子短期大学   須磨キャンパス図書館

 

               

展 示

⇒こちらは展示一覧                  
■2021年度   Summer

     所蔵資料でたどる日本の化粧史
       
 

●古墳時代

 
縄文時代の土偶や古墳時代の埴輪には顔を赤くしているものがあります。
呪術や魔除けといった意味合いが強かったと思われます。
 3世紀、中国で編纂された歴史書『三国志』の中に、日本人の化粧について書かれているところがあります。
「魏書」第30巻の烏丸鮮卑東夷伝倭人条、みなさんご存じの通称「魏志倭人伝」です。

三國志 / (晉) 陳壽撰 ; (宋) 裴松之注 ; 第3册. -- 2版. -- 中華書局, 1982.
[資料番号: 21792960]  [所在:1階A15] [請求記号: 222.043-Sa-3]

倭人在帶方東南大海之中、依山㠀為國邑。 
 =倭人は帯方郡の東南の大海の中に在る。山島に身を寄せて国や邑(むら)を作っている。
男子無大小、皆黥面文身。
 =男子は大小(大人子供)の区別なく、みな顔と体に黥をしている。
以朱丹塗其身體、如中國用粉也。
=朱丹(赤い顔料)を身体に塗っており、中国で粉を用いるようなものだ。

●平安時代

 9世紀の末に遣唐使が廃止され、化粧も日本独自に発達しました。
 白粉は2種類あり、水銀系のハラヤとや鉛系のハフニで、それをヘチマ水で練って、顔に塗りつけ真 っ白にし、お歯黒で肌の白さを際立たせました。
 眉は全部抜いて、額の部分に別眉を引きます。
 ネイルもこの時代に始まりました。ホウセンカの花びらをつぶして発酵させ、にじみ出た液を爪に塗り ました。


信貴山縁起繪 : 山崎長者の巻. <複製> -- 丸善, 2002.
[資料番号: 30532526]  [所在:1階W2] [請求記号: 721.2-Sh]

平安時代後期に作られた、信貴山で修業した僧命蓮にまつわる仏教説話で、『源氏物語絵巻』『伴大納言絵巻』『鳥獣人物戯画』とともに、四大絵巻に数えられています。
空を飛んで戻ってくる米俵を見て、家人が驚いている場面。女の人はお歯黒をして、眉毛を額に描いています。


●鎌倉・室町時代
 武家社会になると、女性の身だしなみも武家社会に適合するよう薄く軽やかに変化しました。化粧は貴族階級から武家階級、さらに庶民にまで広がっていきました。
 当時の不美人の条件は、くせ毛、高い鼻、大きな目。今と正反対です。


男衾三郎絵巻. <複製> -- 貴重本刊行会. -- (日本古典絵巻館 : 折本).
[資料番号: 30211230]  [所在: 1階W2] [請求記号: 721.2-16-1]

鎌倉時代・13世紀に描かれた絵巻物。
関東に住む武士の兄弟、兄の吉見二郎と弟の男衾三郎という対称的な家族を描いています。
娘が髪を梳いてもらって化粧する場面。男衾三郎は坂東一の醜女を妻にし、娘も母親譲りの「縮れ髪、出張った頬、金壺眼、天狗鼻」をしています。これらは当時の不美人を表す記号的表現です。


●江戸時代

◇白粉(おしろい)
 日に当たって労働することがない上流階級にあこがれて、美人の条件は色白でした。そのため女性たちは白粉化粧に一番気を使っていました。


女鏡秘伝書. --山本長兵衛. 慶安五年(1652)刊.
[資料番号: 2180195]  [所在:貴重] [請求記号: 【十-2-2】]

江戸時代初期の女の躾け本。
白粉は、厚塗りが流行ったり、薄化粧が流行ったりしましたが、この本の出版当時は薄化粧が流行っていたようです。
一度白粉を塗って、よくふきとると、うっすらと薄いベールをかぶせたようになり、肌が輝きました。

 けはひのけしょうの事
  おしろいをぬりて そのおしろい すこしも のこり侍(はべ)れば 見ぐるしきものなり。よくよくのご(ぬぐ)ひとりてよし。
  もとより かほ(顔)ばかりに ぬるべからず。みみのした のどよりむねまでも のこさずに ぬりたまふべし。
  きは(際)見へざるをかんとす。くれぐれ しろくのこれるは おとこたちの一しほ きらひもの わらひくさ(笑い種)と こころえべし。


◇眉墨(まゆずみ)
 公家や武家といった上流階級は室町時代にできた礼法に則って眉を描きました。
 一般女性は子どもが生まれると眉を剃り落としました。


化粧眉作口傳 / 水島卜也著. -- 復刻版. -- 資生堂企業文化部資生堂企業資料館, 2000.
[資料番号: 30841260]  [所在:1階W2] [請求記号: 383.5-Fu]
原本は文化7年(1810)刊

上流階級の礼法としての眉の書き方の教科書。ある程度高い地位にある武士の令嬢やそれに仕える女房が対象。


◇お歯黒・鉄漿(おはぐろ)
 平安時代から上流階級の女性は、ある年齢(十歳ぐらい)になるとお歯黒を施していました。江戸時代になると初潮を機に、さらには結婚の前後、あるいは妊娠してからとお歯黒開始は遅くなり、明治以降は禁止になりました。


繪本十寸鏡 / 西川祐信畫圖 ; 中 -- 複製版. -- 臨川書店, 1979.
原本は延享5年(1748)刊
[資料番号: 30126053]  [所在:1階C1] [請求記号: 721.8-4-10]
                                            
「初鉄漿(はつかね)」という儀式の場面。
親類縁者に鉄漿親(かねおや)になってもらいます。また知り合いの七軒から鉄漿水(かねみず)をもらってくるという風習もありました。


倭漢三才圖會 ; 巻第二十五 / 寺島良安編. -- [出版者不明], 正徳5[1715]跋.
[資料番号: 30624498]  [所在:貴重] [請求記号: 031.2-Wa-8]

図入り百科事典。全105巻。中国の『三才図会』にならって、和漢古今の万物に絵図を付け、漢文で解説したもの。
化粧道具の項に鉄漿水の作り方が載っています。

お歯黒の付け方
まず次の方法で鉄漿水を作る。
米のとぎ汁や酢に古釘や鉄くずなどを入れて3日から7日暖かいところで放置し、茶褐色で悪臭のする溶液を作る。
できた鉄漿水を、つける直前に沸かす。
筆で鉄漿水を歯に塗った後、五倍子粉(ヌルデの木にできた虫こぶを乾燥させて粉にしたもの)を上塗りする。
これを交互に繰り返すと、鉄漿水の酢酸第一鉄と五倍子粉のタンニン酸が結合して黒変する。


◇口紅
 紅花の花びらを臼で餅のように搗いて紅餅を作り、紅問屋を通して、紅屋で紅を抽出し、口紅に商品化して小間物屋で売りました。


和国諸職繪盡 / 菱川師宣画. -- 復刻版. -- 日本風俗圖繪刊行會, 1915. -- (日本風俗圖繪 ; 第2輯)
[資料番号: 21804069]  [所在:1階W4] [請求記号: 832.1-Ku-2]
原本は貞享2年(1685)刊

店先で紅粉解(べにとき)女が、泥状の紅を紅猪口(べにちょこ)や紅皿とよばれる小さな陶器に塗りつけて販売しました。



国芳・英泉 / 鈴木重三責任編集. -- ぎょうせい, 1991. -- (名品揃物浮世絵 ; 7).
[資料番号: 30656130]  [所在:3階M3] [請求記号: 721.8-M-7]

笹紅(ささべに)という、紅を濃く塗り重ねて笹色に見せる化粧法が流行しました。高価な紅を贅沢に使っていますという意味です。紅は塗り重ねると玉虫色に光りました。


●美容ガイドブック

都風俗化粧伝(みやこふうぞくへわいでん) ; 下 / 佐山半七丸著 ; [速水春暁斎画]. -- 復刻版. -- 資生堂企業文化部資生堂企業資料館, 2000.
[資料番号: 30841239]  [所在:1階W2] [請求記号: 383.5-Fu-3]
原本は嘉永4年(1851)翻刻

 江戸時代後期の総合美容ガイドブック。
 化粧と書いて「けわい」と読むときは、メークアップの「けしょう」より広義になり、身づくろいや髪、恰好なども含みました。
 大正時代まで1世紀も読み継がれています。


容顔美艶考 ; 坤 / 並木正三著, 浅野高造補著. -- 復刻版. -- 資生堂企業文化部資生堂企業資料館, 2000.
[資料番号: 30841253]  [所在:1階W2] [請求記号: 383.5-Fu-1]
原本は文政2年(1819)刊

 メークアップを中心とした化粧のテクニック本


江戸買物獨案内 ; 下 / 中川芳山堂. -- 復刻版. -- 近世風俗研究会, 1958.
原本は文政7(1824)年刊
[資料番号: 21827747]  [所在: 1階W4] [請求記号: 672.136-Na]

 大坂で出版された、江戸の商店約2600店を紹介するガイドブック。伽羅之油(整髪油)の店でも白粉や紅を扱っていました。
 このページにある「柳屋」は元和元年(1615)創業の日本一古い化粧品メーカー。ロゴマークは現在も変わらず使われています。


女用訓蒙図彙 / [奥田松柏軒著]. -- [出版者不明]
[資料番号: 21827617]  [所在: 1階W4] [請求記号: 384.6-Ok]
原本は文政7(1824)年刊

 江戸時代のファッションや美容法を紹介した百科事典。


●明治・大正時代

 白い粉と書いて「おしろい」と読むように、従来おしろいは真っ白な粉でした。
明治39年(1906)、資生堂が国産で初めて黄色と肉色(紅色)のおしろいを発売し、それをきっかけに当時の大手メーカーも発売するようになりましたが、大多数の婦人は和装だったので、依然真っ白な白粉を使い、色物を使うのは上流階級の洋装の人か職業婦人たちでした。


明治39年8月6日 朝日新聞
 福原資生堂 かへで(黄色おしろい)とはな(肉色おしろい)の広告


週刊婦女新聞. -- 復刻版. -- 不二出版. 1085号(大正10年3月)
[資料番号: 30805859]  [所在:地下] [請求記号: P379.46-3-25]
原本の出版: 婦女新聞社

大正10年 雑誌掲載広告
 大正6年(1917)、資生堂が「七色粉白粉」を発売しました。白、肉黄、緑白、ばら、牡丹、紫、黄白の7色があり、使う人の肌色に応じて、自由に色を選んで使うことができる画期的な商品となりました。


  Copyright (C) 2004 Kobe Women's University and Kobe Women's Junior College Suma Campus Library. All Rights Reserved.
| お問合せ先とアクセスマップ |