神戸女子大学・神戸女子短期大学   須磨キャンパス図書館

 

               

展 示

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■2021年度   Spring

      恋 文
 5月23日は、5(こい)2(ぶ)3(み)の語呂合わせでラブレターの
日です。

 メールやSNSのおかげで全く手紙を書こくとがなくなりましたが、最近想いが伝わるからと手書きの手紙が見直されています。ラブレターって書いたことありますか?
過去の偉人たちはどんな恋文を書いたのでしょう。図書館の蔵書でご覧いただけます。
       
 
伊勢物語 全. -- 井筒屋忠左衛門, 大文字屋七郎兵衞開板. 貞享2年(1685)
30624764 / 所在: 1階W3閉架 / 請求記号: 913.32||Is


平安初期に成立した『伊勢物語』は「昔男ありけり」で始まる「男」を主人公とした歌物語です。在原業平の歌を中心に、その歌を詠んだ前後のいきさつが描かれていますが、在原業平が主人公だったり、別の人が主人公だったりしています。
この本は上段に細字で注釈、下段に本文とと28面の挿絵があり、絵と注釈で読み易くしています。


平安時代は男女が顔を合わすことができなかったので、上手な和歌が作れるかどうかが恋愛の始まりでした。第107段は、在原業平が歌を代筆する話です。
 平安時代の手紙は消息(しょうそこ)といい、男にとっても女にとっても教養と才知を推測する手立てとなりました。
 恋文には薄様(うすよう)といって、鳥の子紙を薄く漉いたものが好んで使われました。薄様を美しい色で染め、一枚ではなく「かさね」にして使います。これを「結び文」や「包み文」にして、紅い紙なら撫子(なでしこ)に、青い紙なら柳の枝にというように、紙と同じ色の花や枝に付け、「文使い」によって届けさせました。
 紙の選び方、その色合い、たきしめた香り、墨付き、和歌の巧拙、折り枝の趣向、返事の間合いなど、すべてにおいて恋の駆け引きが行われました。さらに、文使いの機転、文使いへの心遣い、取り次ぐ女房の機転、代筆する場合の心配りももちろん主人の器量に結びついて評価されます。
 男が求愛するときは、まず手紙を書いて、文使いを遣って相手の姫君に届けます。最初から返事はもらえないので、何度か手紙を送り、お付きの女房から代筆の手紙がきて、さらに姫君から直筆の手紙がもらえるようになると、男は女のもとに通うようになります。
 当時は通い婚だったので、夜が明けると男は女の家を出ますが、帰ったらすぐに「後朝(きぬぎぬ)の文」を送らなければなりません。これを送らないと「わたしはあなたのうちにもう通いません」という意味になります。



源氏物語繪巻 / 秋山光和 [ほか] 監修 ; 五島美術館蔵. -- [複製]. -- 丸善, 2003.11.
30558380 1階W3閉架 / 請求記号: 913.36||Ge


源氏物語が成立してから約150年後の12世紀に作られた絵巻で、源氏物語の54帖からそれぞれ1~3場面を選んで絵画化し、その絵に対応する物語部分「詞書」を絵の前に添えています。


光源氏の息子夕霧に届いた手紙を妻の雲居雁が後ろから奪おうとしている場面です。
夕霧が思いを寄せている落葉宮の母親からの手紙だったのですが、嫉妬にかられた雲居雁は落葉宮からの手紙と勘違いしてしまいました。
この手紙は紅色に銀箔を蒔いた料紙です。手紙は一枚ではなく二枚にすることが多いので、内側はそれに合う「かさね色」を用いたのでしょう。季節は八月。秋の「かさね色目」です。



ベートーヴェンの恋文 : 新たに発見されたダイム伯夫人への13通 / ベートーヴェン著 ; J. シュミット=ゲールグ編 ; 属啓成訳. -- 音楽之友社, 1970.7.
20302214 1階C3閉架 / 請求記号: 762.34||17


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年ごろ - 1827年)
1800年代初頭、ベートーヴェンは貴族の子弟たちにピアノを教え、そのうちのハンガリー貴族の娘ヨゼフィーネ(Josephine)に思いを寄せていました。ヨゼフィーネがダイム伯爵と結婚し、4年後に未亡人になった時、ベートーヴェンは情熱的な恋文を送っています。
ベートーヴェンの悪筆は有名で、テレーゼのために作曲された「エリーゼのために」は、「テレーゼ」を「エリーゼ」と読み違えられました


1804年ごろ ヨゼフィーヌ宛
愛する 良き 愛する― ― ― J.―― ここに
私が持っているオーデコロンを6本ばかり
お送りします。― もしもあなたが、
私の友人のルンペンから入手できたら、
送り返していただいて結構です。
―― 愛する、愛する、いとしきJ.
今晩あなたにお目にかかれるか、
もしもお目にかかれなかったら、
わたしはあなたの親戚の人を恨み、
骨髄に徹するまで呪います― ごきげんよう、いとしき、
あなたが これほどいとしい
たとえあなたが、私を嫌っても
あなたの忠実なる
L.V.
ベートーヴェン



知られざるハーン絵入書簡 : ワトキン、ビスランド、グールド宛 1876-1903 : 桑原春三所蔵 / ハーン [著] ; 関田かおる編著. -- 雄松堂出版, 1991
30668508 3階P16 935||Se


ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)(1850年 - 明治37年(1904))
小泉八雲で知られるラフカディオ・ハーンは、同僚記者だったエリザベス・ビスランドと生涯にわたり20年以上も交友を続けました。ハーンはビスランドを「心の恋人」として崇高な友情を保ち続け、おびただしい数の手紙を交わしました。
ハーンの死後、ビスランドはハーンの伝記と書簡集を出版し、その印税を遺族に送りました。書簡中の恋愛の表現は削除して発表しました。


1889年11月24日 エリザベス・ビスランド宛
(ビスランドの弟が姉の写真を持って訪ねてきてくれたことについて)
私はおかしいほどに幸せを感じました。写真はあなたに、少なくともあなたのうちの一人に似ています。――どんなに友人として親しく、関係が深くても、類のない第二の人物(写真の人物)を眺めて楽しむことは決して文字通り許されないでしょう。(ここからフランス語)人は決して正直に言いません「あなたが好きだ」と。でも本当に、「私はあなたが好きです!すべてが。」



The letters of Oscar Wilde / edited by Rupert Hart-Davis. -- Harcourt, Brace & World, 1962.
20740061 1階D18閉架 935||54


オスカー・ワイルド(1854年 - 1900年)
ヴィクトリア朝時代の作家オスカー・ワイルドは、結婚して子どもも二人いましたが、16歳年下のアルフレッド・ダグラス卿と恋愛関係になりました。怒った父親のジョン・ダグラス侯爵は男色の罪でワイルドを訴え、ワイルドは2年の刑を受け服役しました。


1895年5月20日 アルフレッド・ダグラス卿宛
私の甘い薔薇よ、捧げられた花よ、百合の中の百合よ、きっと私は監獄の中で愛の力を試されるだろう。君への愛の強さで苦い水を甘くできるかどうか見てみよう。離れ離れになった方がいいと思ったこともあった。ああ!弱くて狂ってたんだ。そんなことしたら私の人生が台無しになり、私の芸術が駄目になり、魂を完璧にしていた和音が壊れてしまうと今ならわかる。泥まみれになろうとも私は君を讃え、地の底からであろうと私は君を求めて叫ぶだろう。
一人でいる時も君は私と共にいる。



樋口一葉全集 : 第4巻下 / 樋口一葉 [著]. -- 筑摩書房, 1994.6
30234871 3階N4 918.68||126||6


樋口一葉(明治5年(1872)- 明治29年(1896))
樋口一葉は新聞小説作家の半井桃水(なからいとうすい)に師事していました。
二人はお互いに思い合っていましたが、周りの陰口や桃水の隠し子疑惑、また母と妹を養っていかなければならないことなどから、一葉は桃水にお別れの手紙を書きます。一葉20歳、桃水32歳のことでした。


明治25年7月8日付け 半井桃水宛
私は唯々真の兄様のやうな心持ちにて いつまでもいつまでも御力にすがりたく願ひ御座候を とらぬことより変な具合いになり ただ今の所にては私しひてお前様 におめもじいたしたくなどと申さば 他人はさら也 親兄弟も何とうたがふか知れ申さず とに角にくやしき身分に御座候



The Letters of Virginia Woolf ; v. 6: 1936-1941 / [Virginia Woolf] ; editor, Nigel Nicolson. -- Hogarth Press, 1980.
30486201 3階P19 935||84||6


ヴァージニア・ウルフ(1882年 - 1941年)
イギリスの小説家で、20世紀モダニズム文学の主要な作家。彼女はひどい神経衰弱と鬱病を患っていました。
1941年3月28日、ヴァージニアはコートのポケットに石をつめて自宅近くの川に身投げしました。夫のレナード・ウルフは行方不明になった妻の手紙をライティングデスクの上で見つけました


1941年3月28日 レナード・ウルフ宛
最愛のあなた
これだけは言いたかったの。あなたは私をこの上なく幸せにしてくれましたね。誰もあなた以上の人はいません。どうか信じてください。 でもこれ(病気)を克服することはできないとわかっています。私はあなたの人生を無駄にしています。そうこの気狂いのせいよ。誰が何と言っても私を説得できません。あなたは有能です。だから私がいなくなったらもっとうまくいくでしょう。ほらね自分の言ってることが正しいってことすら書けないわ。私の言いたいことはこれだけ、この病気になるまで私たちは完璧に幸せだった。それはすべてあなたのおかげなのです。あなた以上の人は誰もいません、最初に逢ったその日から今まで。それはみんが知っています。 V.



石川啄木全集 ; 第7巻 : 書簡. -- 筑摩書房, 1993.
30220409 3階N4 918.68||103||7


石川啄木(明治19年(1886) - 明治45年(1912))
石川啄木は明治41年、与謝野鉄幹・晶子夫妻から短歌の添削指導を任されました。当時啄木には妻子がいましたが、短歌を送ってきた菅原芳子に懸想して熱烈な恋文を送っています。
さらに、女の名前で送ってきた男性にも恋文を出してしまいました。現在もネット上で同じことが起こっています。


明治41年8月24日 菅原芳子宛
君、わが恋しき君、我ら何故相見ること叶はざるか、これ私がこの頃夜毎々々繰返す疑問に候、君、何故に君と相逢ふこと能はざるか。われかくも君を恋して、然も何故に相逢ふてこの心を語り能はざるか、かくも恋して、何故に親しく君の手、あたゝかき手をとり、その黒髪の香を吸ひ、その燃ゆる唇に口づけする能わざるか!接近を欲するは遂に恋の最大の要求なり、別れたる人誰か逢ふを願はざらむ。既に相逢ひて、君よ、誰か相抱き相擁せむとはせざる。
君よ、何故に一日も早く君の写絵を送り給わざる。逢いたさにたえぬ夜、君と相抱きて一夜なりとも深き眠りに入らんとする夜、我その写絵を抱きて一人寝なましものを。



芥川龍之介全集 ; 第10巻 / 芥川龍之介著-- 岩波書店, 1983.
30056040 3階N4 918.68||51-10


芥川龍之介(明治25年(1892) - 昭和2年(1927))
芥川龍之介は親友の姪塚本文と家族ぐるみで付き合っているうちに、だんだんと恋愛感情を持つようになりました。文が16歳になったとき二人は婚約し、3年後の大正8年に結婚。芥川龍之介27歳、文19歳。ニヒルな芥川が恋文に素直な気持ちを綴っています。


大正6年4月16日塚本文子宛
来年の今頃にはもう、うちが持てるでせう 尤も月給が六十圓しかないんだから、ずゐぶん貧乏ですよ それでやつて行くのは 苦しいが がまんして下さい 苦しい時は 二人で一しよに苦しみませう その代り樂しい時は 二人で一しよに樂しみませう さうすれば又 どうにかなる時が來ます (中略)
しかしどんな目にあつても、文ちやんさへ僕と一しよにゐてくれれば僕は決して負けないと思つてゐます これは大げさに云つてるのでも 何でもありません ほんとうにさう思つてゐるのです 前からさう思ってゐました 文ちやんの外に僕の一しよにゐたいと思ふ人はありません 文ちやんさへ、今の儘でゐてくれれば 今のやうに自然で、正直でゐてくれれば さうして僕を愛してさへゐてくれれば
何だか氣になるから ききます ほんとうに僕を愛してくれますか
この手紙は 文ちやん一人だけで見て下さい 人に見られると 氣まり悪いから

四月十六日
文子様



太宰治全集 ; 第11巻 / 太宰治著 -- 筑摩書房, 1991.
30104433 3階N3 918.68||61||11


太宰治(明治42年(1909) - 昭和23年(1948))
太宰治は、井伏鱒二の紹介で石原美知子と再婚し三人の子どもがいましたが、太田静子と出会い子どもを設けました。『斜陽』は太田静子の日記が元になっています。
同じころ美容師の山崎富栄とも愛人関係になり、太宰は富栄と玉川上水で心中してしまいます。太宰38歳の時でした。
妻の美知子宛の遺書には「美知様 お前を誰よりも愛していました」と毛筆で書かれていました。


昭和21年1月11日太田静子宛
拝復 いつも思つてゐます。ナンテ、へんだけど、でも、いつも思つてゐました。正直に言はうと思ひます。一ばんいいひととして、ひつそりと命がけで生きてゐて下さい。コヒシイ


手紙を書く姿

繪本青樓美人合 / [鈴木春信画] ; 江[1] - 京[2]. -- [複製版]. -- [臨川書店], [1981.11].
30126190 1階C1閉架 721.8||4||16


紙は二枚重ねにし、机を使わずに小筆を宙に浮かせて使います。



恋文の HOW TO 本

文のはやし 一隠亭為山
【四-92】(2179509)


『文のはやし』は恋文の文例集で、欄外には恋愛に関する情報も掲載されており、恋愛に関するハウツー本になっています。
「最初の附け文にて返事のおそき時」「追いかけて遣わす文」「晩にさせようから来なさいといふ文」「恨みの文」など、いろいろな場面の文例を紹介しています。



艶書玉手箱
【四-90】(2179507)
艶書とは恋文のことで、恋文の文例集です。目次にいろいろな文例が載っています。



懸想文売り

近古文芸温知叢書 ; 第8編 / 岸上操編. -- 博文館, 1910.
近世奇跡考 / 山東京伝随筆. 文化元年序
20939991 1階C12閉架 918.5||4||8


江戸時代の京都に、正月から15日の間、白い布で覆面をし、赤い衣装に烏帽子姿、のちには編笠を被って、懸想文(恋文)を売り歩く行商人がいました。俳句の季語にもなっています。
文化元年(1804)刊『近世奇跡考 / 山東京伝』によると、細い畳紙の中に、洗米を2,3粒入れ、1銭から100銭の間の自由料金制で、最初は占いやおみくじだったものが、のちに恋文になりました。
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